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水戸地方裁判所 昭和54年(ワ)354号 判決 1982年12月15日

原告 甲野太郎

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 萩野谷興

右同 小泉尚義

被告 加藤裕子

右訴訟代理人弁護士 中井川曻一

被告 水戸市

右代表者市長 和田祐之介

右訴訟代理人弁護士 黒澤克

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告両名に対し、それぞれ金二、四六六万一、二四〇円および各内金二、三一六万一、二四〇円に対する昭和五一年五月二〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告両名)

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位

原告甲野太郎は、訴外乙山春夫(昭和三八年二月二二日生、以下「亡春夫」という。)の父、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)は、亡春夫の母である。亡春夫は昭和五一年五月一二日当時茨城県水戸市立第五中学校(以下「五中」という。)の生徒であった者、被告加藤裕子(以下「被告加藤」という。)はそのころ同中学校の教諭であった者である。また、被告水戸市は右中学校の設立管理者である。

2  被告らの責任原因

(一) 被告加藤の加害行為

昭和五一年五月一二日午前九時ころ、五中体育館内において実施された五中主催の体力診断テストにおいて、被告加藤はその指導監督を、亡春夫はその測定係をそれぞれしていたところ、被告加藤は、亡春夫に対し、突然その頭部を手拳で十数回強打する暴行(以下「本件暴行」という。)を加え、よって、これを同月二〇日午後五時四五分、同市大町二丁目一番四〇号所在の訴外水府病院において脳内出血により死亡するに至らせたものである。

亡春夫の死因が、本件暴行に因る脳内出血であることは、亡春夫に、本件暴行を受けてから死亡するまでの間、鼻血を出す、顔色は両頬がやや黒く変色する、食欲が減退する、だるさを訴える、激しい頭痛及び目まいを訴える、吐き気を催す等の症状が見られたほか、死亡直前のころには、脳内出血を裏付ける眼底出血、高血圧、高脳圧、頸部硬直、激しい頭痛、意識障害、嘔吐および髄液の黄色化等の臨床的所見が見られたこと、亡春夫は、その死亡に先立ち、同日、訴外水府病院で脳波および随液検査を受けた際、ひきつけ、意識混濁等の症状を呈していたのであるが、そのときに、原告花子は訴外水府病院小児科医師訴外大原和夫(以下「訴外大原」という。)から「最近亡春夫が頭部を打つような事故はなかったか。」との趣旨の質問を受けたこと、これは取りも直さず同訴外人が、亡春夫の症状を脳内出血と判断したうえ、その原因として外部的圧力の存在を想定したものであることに外ならないこと、亡春夫の死亡時に、その左後頭部に直径約五センチ大の円型の内出血痕が発見されたこと、亡春夫が死亡した翌日、五中教頭が原告花子に対し、亡春夫の遺体の埋葬方式につきしつこく尋ね、また、五中側が亡春夫の通夜に同級生を出席させなかったというような不審な行動がみられたこと等の事実によって明白である。

(二) 被告加藤の故意、重過失

被告加藤は、本件暴行に出れば亡春夫が死に至ることを知り、もしくは死に至ることが容易に予見でき、したがってこれを回避すべき注意義務があったにもかかわらず右義務を怠り、敢えて右暴行に及んだものである。したがって、本件暴行は、被告加藤の故意もしくは重過失に基づくものといわざるをえないものというべきである。

3  損害

被告加藤の暴行により原告らの受けた損害は、次のとおり各金二、四六六万一、二四〇円である。

(一) 逸失利益 各金一、六九一万一、二四〇円

亡春夫は、死亡当時一三才で、事故がなければなお五九・九九年間生存し、その間一八才から六七才まで就労できたと考えられるから、昭和五四年賃金センサス(昭和五三年度より五パーセントアップしたとみる。)の産業計、企業計、学歴計、男子労働者の全年齢平均給与額に則り年収金三一五万四、九三五円を基礎とし、生活費としてその半額を控除し、年別の新ホフマン式により年五分の割合による中間利息を差引くと金三、三八二万二、四八〇円となる。原告らは、亡春夫の父母として、これを二分の一ずつ各金一、六九一万一、二四〇円宛相続した。

(二) 葬儀費用 各金 二五万円

(三) 慰藉料 各金六〇〇万円

(四) 弁護士費用 各金一五〇万円

4  よって、原告らは被告加藤について民法七〇九条、被告水戸市について国家賠償法一条の各規定に基づき、損害賠償として、被告ら各自に対し、右合計金二、四六六万一、二四〇円および内弁護士費用を除く各金二、三一六万一、二四〇円に対する亡春夫の死亡日である昭和五一年五月二〇日から支払済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

(被告両名)

1 請求原因1の事実は認める。

2(一) 同2(一)の事実中、原告ら主張の日時、場所において被告加藤が体力診断テストの指導監督を、訴外亡春夫がその測定係をそれぞれしていたこと及び亡春夫が原告ら主張の日時、場所において脳内出血により死亡したことは認め、亡春夫が訴外水府病院で診察を受けたこと、その診察の結果、同所における訴外大原の発言及びその判断内容についてはいずれも知らない。その余は否認する。亡春夫は同月一二日、五中体育館内で被告加藤から訓戒説諭を受けた後も、相当激しい各種の運動をし、また、積極的に課外のバレーの練習試合にも参加し、さらに、野球見物などもしているのであって、その間特段の身体の異常は見受けられなかった。これらの事実からするならば、亡春夫の死亡の原因が前記五月一二日になされた暴行に基づく外傷性の脳内出血でないことは明らかである。

(二) 同(二)の事実は否認する。

3 同3の事実は否認する。

三  被告加藤の抗弁

本件暴行当時も被告加藤は公務員であったが、公務員は、仮に故意過失がある場合でも、被害者に対し、直接個人として賠償責任を負わないと解される(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決、判例時報九〇六号四頁以下)から、同被告には民法七〇九条の責任はない。

四  被告加藤の抗弁に対する認否

本件暴行当時被告加藤が公務員であったことは認め、その余の主張は争う。

加害者である公務員に軽過失しか認められない場合は、その個人責任は否定されるとしても、故意または重過失がある場合には個人責任を負うべきであり、被告加藤には故意または重過失があったのであるから、同被告は民法七〇九条の責任を免れない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(当事者の地位)及び同2、(一)の事実中、亡春夫の死亡の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、請求原因2、(一)記載の被告加藤にかかる本件暴行の有無及びその程度について、以下検討する。

《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  本件暴行当時、被告加藤は、五中に保健体育及び国語の教師として勤務し、一方、亡春夫は、五中の二年八組に在籍し、中央委員(学級委員)をしていた。

亡春夫は、その性情として、剽軽で人なつっこい反面、やや落ち着きがなく、軽率なところがあった。被告加藤は、亡春夫が五中の一年生の時、そのクラスの国語を担当していた関係で、亡春夫の該性情を知悉していた。そして、亡春夫は、同被告に対し、進んで話しかけたり、ふざけるようなことも比較的多かったことなどから、被告加藤としても、亡春夫に対しては、普通以上の親近感を抱いていた。

2  昭和五一年五月一二日、五中の行事として全校生徒を対象とする体力診断テストが実施されることになった。そして、同日の一、二時限目は、同校の三年生が右テストを受ける予定であったため、三年生四〇〇名前後、右テストの担当教師十数名、テストの測定、記録係として二年生の各クラスから割りあてられた各六名の生徒(この中に、亡春夫も含まれていた。)が、同校体育館に集合していた。被告加藤は、同日右テストの一環である体前屈テストの指導監督者として、また亡春夫は同被告の指導、監督の下で右テストの測定、記録係として、それぞれ右三年生のテストに立会うことになっていた(被告加藤が右テストの指導監督を、亡春夫がその測定、記録係をそれぞれしていたことは当事者間に争いがない。)。

3  被告加藤は、前同日午前八時五五分ころ、体前屈テストを行なうため、五中体育館の東側入口から同体育館に入り、北側のステージ中央階段より向かって右側に設けられた測定場所の方に進み出ながら「体前屈係の人は集まりなさい。」と声をかけたところ、左方で亡春夫が「何だ加藤と一緒か。」と言いながら仲間の生徒にずっこける動作(わざと、右膝を急に折って、肩を落とし体勢を崩して倒れるような仕草)をして見せたのを現認するや、主としてその軽率な言動をたしなめようと考え(右言動に対する立腹や、これに基づく私憤が混在していなかったとは断定し得ないとしても、それらが主たる動機であったとは認められない。)、すぐ右測定場所付近に亡春夫を呼び寄せた。そして、前に立った亡春夫に対し、「今言ったことをもう一度先生に言ってごらん。」、「たとえ、それが本音であっても、言っていいことと悪いことがある。二年生になったんだから、そんな事を判断できないようではいけない。」などと、口頭で訓戒しながら、自己の肩の辺まで(当時被告加藤の身長は、約一・六三メートルで、亡春夫のそれは、一・五メートルにも満たなかった。)右手を振り上げて、軽く握った右手拳をもって、亡春夫の前頭部あたりを一回たたいたが、黙ったままで反省する様子が窺えなかったので、さらに、「そんなへらへらした気持では、三年生に対して申し訳がない。」、「中堅学年として、もっとしゃきっとしなくてはならない。」などと説諭しながら、先程と同程度の強さ加減の右手拳をもって数回頭部をたたいた。しかし、それは、巷間往々にして、伝えられるような、男性教員が生徒を説諭する際に振るう殴打という如き強打ではなく、これよりは軽い殴打(頭部をこつこつとやゝ強くたたく程度)であった。亡春夫は、被告加藤からたたかれている間「痛い」と叫んだりせず、身体が前後左右に揺れたり、転倒したりすることもなく、ただうなだれて、殆んど不動の姿勢のままに終始して、一切反抗的な態度に出なかった。

4  亡春夫は、被告加藤から本件暴行を受けた後も体前屈テストの測定に従事し、その間他の測定係の生徒から「大丈夫か。」と尋ねられても「大丈夫」と答え、頭が痛いとか又は痛みのため頭をかかえるというような挙動は全くなかった。

《証拠省略》中、右認定とくい違う部分は採用することができない。また、原告らは、本件暴行が強度のものであることを裏付ける事実として、第一に、亡春夫の死亡時その左側頭部に直径約五センチ大の円型の内出血痕が存在したこと、第二に、亡春夫の死亡の翌日五中教頭が原告花子に対し、亡春夫の遺体の埋葬方式につきしつこく尋ね、また五中側がその通夜に、同級生を出席させなかったというような不審な行動がみられた旨主張するが、まず第一の点については、《証拠省略》は、右原告らの主張に副うものであるが、仮にこれが真実であったとしても、本件暴行を受けた箇所が亡春夫の左側頭部付近であったことを認めるに足りる証拠がないこと、右内出血痕が発見されたのは本件暴行後一週間以上経過した後のことであり、また、《証拠省略》によれば、亡春夫は本件暴行を受けたころは活発な少年で、バレー部に所属し活動していたことが認められるから、本件暴行以外の原因による受傷ということも推認し得る余地が全くないわけではないこと等を合わせ考えるときは、右受傷が本件暴行によるものであると断定することは到底できないものというべきである。次に、第二の点であるが、仮にこれらの事実があったとしても、《証拠省略》を総合すれば、五中の管理者である学校長、教頭及び亡春夫の担任であった訴外圷恭子教諭らが本件暴行の事実を知ったのは、亡春夫の同級生から右暴行のあったことを伝え聞いた原告らが、学校側にその事実関係を確認すべく五中を訪問した昭和五一年六月二〇日以降であることが認められ、したがって原告らが五中側の不審な行動と主張するところは、学校側の慣習上の儀礼ないし教育上の配慮からされたものであって、学校側で本件暴行の事実を隠匿しようとしてなしたものでないと考えられるから、右事実は、前記認定の事実を左右するに足りないものというべきであり、他に右認定を動かすに足りる証拠は存しない。

三  亡春夫の死因が脳内出血であることは、当事者間に争いがない。

そこで、右脳内出血の原因が被告加藤の本件暴行によるものであるかどうか以下検討する。

1  脳内出血の原因に関する医学上の一般知識等について

《証拠省略》を総合すれば、以下のとおり認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  亡春夫の脳内出血の原因として医学上考えられる点は、第一に外傷、第二に先天性血管異常(脳動静脈奇形)、第三に脳腫瘍、第四に風疹の合併症、第五に白血病、血友病等の出血性素因に基づく場合である(但し、第五については、後記認定のとおり亡春夫に関する限り、その傾向は認められないから、本件とは無関係である。)。

(二)  右原因のうち第一の外傷によるものであるかどうかを判断するためには、受傷機転及び受傷経過を重視しなければならず、しかも他の疾患によって説明が可能かどうかという点も考慮する必要がある。また、これに関連して二歳未満及び四〇歳以上の年齢の者にあっては、軽微な打撃によって脳内出血を起こす場合も決して稀有ではないが、そうでない中間年齢層の者については、相当強力な打撃が加わらないと脳に外傷性の血腫を作るには至らず、従って脳内出血も起こらない。しかも右中間年齢層の者の脳に外傷性の血腫ができた場合は打撃を受けてから一二時間または二四時間以内というような比較的早い時期に、周囲の者が気が付く程度の身体的異変すなわち、激しい頭痛、痙攣、発作、嘔吐、意識障害等が生ずるのが通常である。亜急性の脳内出血の場合、生命に危険な最終事態をむかえるのに四日から三週間以内程度かかるが、その場合にも身体的異変の症状は、通常外傷後直ちに発現する。

(三)  第二の先天性血管異常については、一〇代から二〇代の年齢層の者に最も多く見られるところであり、右年代の者の場合、ある日突然脳動静脈血管が破綻して、中には死亡に至る例も決してまれではない。

(四)  第三の脳腫瘍の場合は、脳実質の中に出血があっても周りに広がらない場合があり、その場合は髄液検査の結果キサントクロミーの所見が認められないことになる。しかし、出血が周りに広がるときは、脳の中を包んでいる水に血液成分が入り、血性髄液になるから、髄液検査をすればキサントクロミーの所見がみられる。したがって、キサントクロミーの所見があったからといって脳腫瘍が脳内出血の原因ではないと断定することはできない(但し、一〇代の年齢層の者については、脳腫瘍から出血を起こすことはかなり少ない。)。

(五)  第四の風疹の場合、潜伏期は二、三週間であり、またその合併症として血小板減少性紫斑病に罹患したときは、稀にではあるが脳内出血を起こすこともありうる。

なお、右の点に関して証人大原和夫は風疹により脳内出血を起こす場合は、血小板減少性紫斑病に罹患したときのみであり、亡春夫は診察当時右病気にかかってはいなかったから、その死亡は風疹とは関係がない旨述べている。しかしながら、現代において医学水準は日夜進歩しつつあること及び後述のとおり亡春夫の死と風疹との関連性を疑わせる事実が存在することを併せ考えると、血小板減少性紫斑病の介在がなければ、風疹から脳内出血に症状が進むことが絶対あり得ないと断言できるかどうかについては、疑問を感ぜざるを得ないうえ、同証人の右証言部分は血小板減少性紫斑病の症状並びにその判定基準及び亡春夫につき同病気を否定した根拠を明らかにしていないのであるから、亡春夫が同病気に罹患していなかったと直ちに断定し得るかどうかにも疑問の余地がある。したがって、証人大原の右証言部分はにわかに措信し難いものといわなければならない。

2  本件暴行後亡春夫が死亡するに至るまでの同人の行動及び症状について

《証拠省略》を総合すれば、以下の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  本件暴行後、訴外水府病院で受診するまでの間の亡春夫の行動及びその身体的状況

亡春夫は、本件暴行後も、その当日の三、四時限目に引続いて行なわれた五中の二年生全体を対象とする体力診断テストを受け、放課後には同校の中央委員会に二年八組の中央委員として出席した。翌日は同校の運動場において実施された運動能力テストを受験し、同月一四日ころには、持久走(一、五〇〇メートル)のテストも受けた。同月一六日は、午前中バレー部の練習試合に参加し、午後からは高校野球の試合を観覧した。翌日には、同校において行なわれた中間テストを受験し、翌一八日には生徒会総会に臨み、その後学校から帰宅したが、その際身体のうち顔と手には風疹の症状の顕著な特徴である発疹が現われていた。原告らは、亡春夫が風疹に罹患したものと思って翌日は学校を欠席させて自宅で静養させていたところ、亡春夫は同日夜から激しい頭痛と吐気を訴えるようになった。

以上の事実が認められる。なお、原告らは、本件暴行当日より亡春夫の死亡前日に至るまでの亡春夫の学校及び家庭における状況につき、右認定以上に亡春夫の体調の悪化を顕著に窺わせる数々の事実がある旨主張する。そして、これに符合する《証拠省略》が存在する。しかしながら、それらの内容を吟味するに、学校における亡春夫の状況については、その同級生からの伝聞であって、これを裏付けるに足りる確たる証拠を欠くし、また家庭における状況についても、本件暴行から一か月以上も経過した後に、原告らに右暴行が発覚したのを契機として、原告花子が一連の過去の出来事を想起して記載ないし供述したものと考えられるところ、これらに本件事案の性質、経緯等を併せ考慮するときは、その正確性になお疑問なしとはしないから、いずれもにわかに措信し難いものといわなければならない。

(二)  亡春夫の死亡当日の症状

原告花子は、亡春夫の死亡当日である同年五月二〇日の午前中、亡春夫を診察してもらうため、訴外宮本医院に連れて行った。同医院の医師は亡春夫を診察台の上に仰臥させ、その目と喉を診た後、原告花子に対し、亡春夫が風疹脳炎に罹患していること、一週間位の入院で、治癒するが、同医院には空きベッドがないので、訴外水府病院の医師訴外大原を紹介する旨告げた。

そこで、原告花子は亡春夫と共に知人の自動車で、同医院から訴外水府病院に赴いた。

訴外水府病院には午前一一時三〇分ころ到着し、予め右宮本医院から連絡を受けていた訴外大原がこれを外来患者として診察したところ、亡春夫の全身に細かい発疹が多数見られ、また頂部硬直及び全身の倦怠感の各症状が顕著に認められたものの、意識はそれ程混濁した状態ではなかった。さらに、訴外大原は胸部及び腹部等を検査したうえ、亡春夫について入院手続をとり、これを病室に収容した。

訴外大原は、亡春夫を入院させた後、出血傾向の検査をしたが、その傾向は認められなかったので、腰椎穿刺を行なったところ、慎重に処置したにもかかわらず、液の出方が悪く、しかも血性でもあったので、同訴外人は穿刺の方法に問題があったのではないかと考えた。

こうして訴外大原がしばらく病室を離れて昼食をとっていると、亡春夫が全身性痙攣を起こしたという連絡が入ったので、急ぎ診察をしたところ、痙攣は既に治まっていて、頭痛を訴えるのみであり、脳波検査については格別異常はなかった。

その後間もなく、訴外大原が亡春夫を回診すると、その一般状態が急速に悪化しており、頻繁に頭痛を訴え、ベッド上を輾転反側する有様で、譫妄の状態であった。そして血圧を測定すると異状に高いので、この段階ではじめて同訴外人は入院当初疑った風疹脳炎とは違うのではないかとの疑問を抱くようになった。一方訴外大原はそのころ原告花子に対し、亡春夫が最近とくに一か月以内に頭を打ったことがあったかどうかと質問した(訴外大原は、脳内出血を疑った場合、頭部の打撲の有無に関する質問を発するのは常識であるというのであって、右質問をしたからといって同訴外人が格別脳内出血の原因として、外傷の点を最も疑っていたものとは解せられない。)ところ、原告花子は思いあたる節がない旨返答した。

次いで、訴外大原は同僚の内科の医師に亡春夫の眼底を診てもらったところ、左右に眼底出血(特に右側が著明)があり、また前記腰椎穿刺によって採取した髄液を遠心沈殿するに、上澄が黄色を帯びていた(これを「キサントクロミー」という。)ので、訴外大原は髄液が血性だったのは、右穿刺時以前に脳内出血が起こっていたためであると判断した。

訴外大原は、右脳内出血についての判断に加えて、亡春夫の一般状態が悪化していたことから、内科的措置に限界を感じ、訴外国立水戸病院の医師訴外高橋慎一郎に連絡して亡春夫の診察を依頼したところ、同病院には空きベッドがないので、亡春夫を入院させることはできないが、患者を診察に行くという返事であった。訴外大原は、右訴外高橋が到着するまでの間、止血剤を投与するなどしていたが、亡春夫は、意識不明の状態に陥り、呼吸も粗くなっていった。

同日午後四時一五分ころ、訴外高橋が訴外水府病院に到着し、直ちに亡春夫を診察したところ、極めて一般状態が悪くなっていたので、とりあえず脳圧を下げるための手術を行なうことを決定し、その準備のため亡春夫の頭を剃髪しているうち、その病状は急速に悪化し、遂に手術室において脳死の状態にまで達するに至った。

以上の認定事実を総合して考えると、被告加藤による本件暴行の程度、態様は手拳による比較的軽い殴打にとどまり、それ以上に亡春夫の頭部に右暴行に基因する別の打撃が加わった事実が存在しないことからみて、本件暴行により、亡春夫の脳に外傷性の血腫ができたとする可能性はきわめて低いうえ、亡春夫はその死亡する二日前までは、学業及び家庭生活に格別支障が生ずるような体調の崩れが認められなかったのであるから、本件暴行によって、その死因である脳内出血が生じたとは到底推認することはできないものといわざるを得ない。僅かに本件暴行後死亡二日前までの間亡春夫の体調があまり芳しくなく、かつ一時頭痛を訴えたということについても、当時罹患していた風疹によるものと考えられないこともないことからみて、右暴行との関連性は薄弱であると考えられるから、いずれも右因果関係に関する判断を動かすに足りないというべきである。

のみならず、本件暴行後も、亡春夫の身体に格別の変化もなかったところ、死亡前日に至って突然激しい頭痛、吐気等を訴えるようになったという経過に徴するときは、先天性血管異常による脳動静脈血管の破綻という可能性もあり得ないわけではなく、さらに極めて確率が低いものではあるとしても、脳腫瘍を原因とする脳内出血という疑いも払拭し得ないところである。そのうえ、右のとおり本件暴行当時亡春夫は風疹に罹患しており、死亡二日前になって発疹の症状が顕著に現われ、その翌日には容体が一変して死亡するに至ったことは、亡春夫の死が風疹と何らかの関連性があるのではないかとの疑問を抱かせるのに十分である。このように脳内出血の原因として、本件暴行以外による病態からの説明も可能であることをも併せ考えれば、本件暴行と亡春夫の死との間の因果関係の点については、到底これを認めるに足りる確証はないというほかはない。

よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

四  以上の次第であるから、原告らの請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中橋正夫 裁判官 永吉盛雄 堀内明)

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